所属団体
(公社)宮崎県柔道整復師会
日本柔道整復接骨医学
Fulcrum Osteopathy Study Group
ご挨拶
柔道整復師の父の姿を見ながら、幼少期を過ごしました。
学生時代は文武両道の学校に通っていましたが、勉強よりも野球に熱中しエースピッチャーを務めましたが、怪我が多くて苦労する事がとても多かったです。その時に献身的に治療してくれた父の仕事に憧れや興味を持ち、同じ治療家の道を歩むことになりました。
高校生くらいから体調を崩しやすくなり、野球の練習中に過換気症候群を発症し、それ以降何となく大勢人が居る空間や密閉空間など息苦しくなり、また体調不良が頻発するようになってしまいます。
そして20歳の頃、大阪に資格を取得するために通っていた学校でパニック障害を発症。電車に乗ることや、公共の場など苦手となりました。当時は薬以外頼る物がなく、たまには軽快することもありましたが、徐々に悪化し勉学や研修に励む事が困難となりました。
当時通っていた専門学校には研究熱心な同期が多く、有難いことにたくさんの徒手療法や鍼灸などの治療をしてくれて、少しずつ軽快していきました。
そんな中、当時はまだ馴染みがあまりなかった「オステオパシー」を勉強している友達が多く、治療の練習台になる事がよくあって、パニック障害の発作が全く起こらない位まで自然と軽快しました。
当時は、薬も使わず何故軽快したのかよく分からなかったのですが、その時に言われたことが、「頭蓋が動いてない。」また「呼吸の辛さは尾骨が原因や。」など、とても理解し難いことを言われ、当時の自分にはよくわかりませんでした。
しかし幼少期から頭部の外傷が多かったので、まさか外傷が原因で数々の体調不良が続いているとは信じられなかったのですが、思い当たる事も多くて、体に受けてしまった外傷やトラウマが体の調子がこんなにも密接に繋がっていると言うことに身をもって体感しました。
資格取得後は京都の整形外科に就職し、約5年様々な疾患や外傷の経験をさせて頂きました。一方でなかなか治らない患者さんを目の前にして悔しい日々も過ごしました。
自分で解剖学や手技療法、論文やリハビリの本など沢山手に取って読みましたが、結局いつも気になっていたのはオステオパシーの書籍でした。
しかしこの道に進む事が、忍耐や資金、勉強や技術を磨く努力は計り知れないことを、先にオステオパシーを学んでいた友人を通して知っていたのでなかなか踏み切れずにモヤモヤした日々を過ごしていました。
結婚後、私の奥さんが前置胎盤による産前トラブルによって我が子が帝王切開で産まれました。その時母子ともに何も手当が出来なかった自分の無力感がきっかけになってオステオパシーを本格的に勉強することになりました。
2018年 世界的オステオパスでありながらこれまで何度も来日していただいて、伝統的オステオパシー、概念や哲学を伝えてくださるPhilippe Druelle先生と。
現在は、国内オステオパシー スタディ グループに所属し、国内のオステオパスの先生方に習い、たくさんの仲間や先輩先生と一緒に研磨する日々を過ごしております。
また海外のオステオパスの先生からも学ぶ機会をいただき、オステオパシーのまだまだ計り知れない奥深さに毎度毎度びっくりしながら、人体のこと、科学や物理学、哲学や概念などを学び臨床に活かせるように研磨しております。
身体の自由が効かなくて困っている人に、最善を尽くして影響力や症状が寛解できるように、日々学び提供すること努力することが我が使命だと思っています。
お陰様で2022年で開院5周年を迎えることになり、有難い事にたくさんの患者さん出会い施術に携わらせていただきました。本当にありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。